音楽とは関係のない話

 

『運転とジャンクフードの関係』
昨年、ここペンシルバニアの外れに越してから、生活の中で物足りなさを感じるのは歩く事。車社会のアメリカの田舎ではまさに車が無ければ生きて行けない様にうまく構成されている。先月、日本から新婚夫婦が訪れ、旦那が言った変な事に時々深く考えこまされる。彼曰く運転とジャンクフードは密接な関係があると言うのだ。アメリカを運転した経験の有る方はご存知の様に毎回の出入り口に群がる様にガソリンスタンドとジャンクフードの看板。このジャンクフードと言うのはマクドナルド、バーガーキング、ウェンディーズ、ダンキンドーナツ、タコベル、サブウェイ、ケイエフシー、クリスタル、ホワイトキャッスル、など覚えてる名前はそんなもんだが実際にはこの何十倍もある。動物の耳、しっぽ、内蔵などをミキサーで細かく砕いてそれを固めたものを焼き、遺伝子を組み替えられ強く育ち真っ白に漂白された小麦や何年も前にセンターで製造され冷凍された食材。卵は既にミルクの紙パックの様な物に混ぜた状態で何年も保存出来る状態にありと気持ちが悪い食べ物だと思う。これを極端にアメリカのあるタイプの若者達は嫌う。私は特に嫌ったり、また進んでは食べないが、それしかなければ問題なく食べる。そのそれしかなければと言うのは本当にそれしか無いときが有る、そして気をつけないとそれすらも無いときもある。アメリカを演奏ツアーしてて夜遅くなり食べる物を探したがそれが無い、仕方なくガソリンスタンドの冷凍のブリトーなどを電子レンジで温め、胃袋に入れる事がたまに有る。それはその寂しい満たされていく胃袋の感触。私が十年以上前に日本に住んでいたときにこのジャンクな物をジャンクとは思わなかったのを覚えてる。『モケンタッキーフライドチキンは家庭では出せない特別な味,だと思ってたモムあるニューヨーク在住の友人』などの意見が有る。この思ってた、は彼が久しぶりに日本に行った時、ケイエフシーにわざわざ行き確かめたが、記憶と現実はやはり違っていた様だ。私にも同じ様な類の経験が有る。運転すると疲れる、疲れるとジャンクフードが食べたくなると言うのは何だかこれまた当りの様な気がする。自己科学的に証明出来ないかと思い考える。このアイデアは如何だろうか。運転すると疲れる、そして体が覚えてるシュガーやコーンシロップの記憶、そういった物がふんだんに入ってるこのジャンキーな得体の知れない食べ物はその車社会にうまく合う訳だ。運転社会、オイル国、アメリカジャンクフード国。
5月15日2006

 

『着火、鍵』
ロスのライターを手に入れてから一年が経とうとする。去年6月、ニューヨーク州の北に位置するバッファローという所に演奏に行った時、近くで夕飯をしたレストランの玄関外に転がってたものをポケットに入れた時から現在まで私の周りを出たり入ったりしている。『出たり入ったり』と言うのは。実は私もロスと同じでライターはよく無くす。でも紛失確率100%とは言わない、中には戻ってくる物も多くある。そしてこのロスのトーチ(日本語訳:ロスのチャッカ)はほぼ一年ほど私の周辺にいる訳で。だからこのロスと鍵の主(以下)との中間よりいくつかロスに近い、少し『まし』な位置に私の癖を感じる。コンピューターでプリントアウトした紙をはさみで切り取り、セロテープで貼付けたロスはおそらく私と同じ様なライター紛失癖の持ち主であろう。幸いにも私はライターを年に一度買うか買わないかのそれほど悪くは無い状態だが、ロスは月に一度、いや週に一度新調しているに違いない。そしてそれにいら立ち、また面白がり、半信半疑にその自作ステッカーを作ったに違いない。もしかしたら赤色を選んだのは『今回は無くさないぞ!』と意気込んでいたまさしくその色かもしれない。しかしロスはその赤い自作ステッカーの張られたライターをいつもの様に簡単に無くしてしまった。そして、このライターを無くした日からすでに毎月、いや毎週ライターを新調してるに違いない。でも、もう今じゃこのライターを手に入れた時の彼のこのライターに対する意気込みはこれっぽちも覚えてないだろう。
このライターを見ながらこの様な想像を働かせてると、それとは正反対に存在する、ニューヨークに住むあるドラマーの事を思う。彼の名前は特に書かないけど。いつも彼に会う時、私の彼に対する印象は地元の自転車屋さんで子供の自転車を兄貴の様に彼らとコミュニケーションしながら、パンク修理をするおやじの様だ。何か深く根着いた人格である。 ドラムは 普段14インチのサイズでだいたい8個−10個程のテンションロッド(チューニングボルト)を特殊なチューニングキーという鍵を使い音程を調節する。外見は日本の取り外し式野外水道栓のツマミの様な物でそれでチューニングする。あとスタンドやペダルのパーツもこの小さな工具を差し込んで取り外しや高さ、長さの調節をする。ライブ前にこの小さな道具が無かったら、ドラムいすが調節出来なかったりしたりして大変な思いをする事になる。で。ある時、彼の楽器の処分販売楽器群を見せてもらった時、数個の中ぐらいの大きさのタッパーにびっしり入った銀色の鍵を見た。きっと彼はチューニングキーを500個は持ってる。訪ねてみると、いつもどこかで発見しその度ポケットにいれるらしい。そういえば私は今まで何個のチューニングキーを紛失した事か、少なくとも20個は無くしたと思う。そして吸い寄せられる様にそれらは彼の手元へと移動して行く。彼にいくつかくれと頼んだ、そして2つ貰った。 2006年4月12日


『工事』
自宅地下にスタジオを作り始めて、一年が経とうとする。去年から演奏の旅に出ている事が多かったので十分な作業が出来ずまだ完成してない。昔からニューヨークでアパートではなくロフト(倉庫や昔工場だったビルなどの部屋を借りて、住める様な状態に工夫して住む、冬は寒いし夏は暑い、日光が入る所はラッキーな所)などに住んで壁をたてて部屋を作ったりして来て、その頃からいろいろ少しずつ工具などはそろえて来、日々大工練習を繰り返して来た様に思う。そして最近になってアメリカで言われる以下の言葉の意味が分かって来た様な気がする。『大工の仕事は遅い』『しかし結局早い』。わけがわからんが面白いなとは思ってたけど、。最近やっぱりそう思う。大工作業は順序が有りそれをあらかじめ想定して行かなければならない。

例えば部屋の塗り替えをする事を想定して作業順序を考えてみる。みなさんの部屋を塗り替えるとしてその作業順序を一緒に考えてみて下さい。
まず部屋を眺めて色を決める、必要な道具や塗料などを買い出しに行く、そして部屋の家具やなにかの移動をし完全な空の状態にする、色が着いては困る所を隠す、壁の修理、プラスターなどで補修、サンドペーパーやスポンジなどで滑らかにする、電気のスイッチプレートなどを外したりする、その他の準備が整ったらプライマー(下地)を塗る、乾燥を待って一度目の色の本塗りをする、乾燥を待って二度目の仕上げをする、道具の洗浄整理、電気のスイッチを元通りにしたりマスキングを外したりする、部屋の家具を戻す、完成。

こんなに簡単に部屋の塗り替えが終わってしまいました。といつも行きたいがしかし実はそんなに簡単じゃないと私は予想します。この作業で問題なのは『その労働に使う時間』と『実際の労力の上手な配分』にこのプロとアマの差が出てくるのではないだろうか。私の今のやり方では全くプロじゃない、でもし私がプロでやるならばその辺を割り切りそこの配分を配給(金)に換算するだろう。作業ではその『考え中』である『想定時間の掛け具合』『ただ眺めている時間』に職人と素人の差がある様な。実際のテクニックややってる事は特殊な作業を除けばそんなに難しい事ではないと思う。しかしイマジネーション、想像力の末端までいろいろ考え出したら一部屋で一年はかかるかもしれない。部屋の色を決めるのにその何百種類のサンプルの中から選ばなければいけないし、特殊な細工を考えてみたりすればその可能性は永遠にあるし。家具などが合わなければ問題だし。かかる費用も重要な問題だし。 音楽を長年やって来てこの工事作業をする時にいつも音楽から離れた自分の存在位置を感じる。友人のジャックライトと話した事が有る。彼もこの工事作業を得意とするが、音楽とは全然関係ないねと話した。
2006年4月12日


『老人に再会』

今年6月の末、ニューヨークを離れてここペンシルバニアのイーストンという町に引っ越した。小さな町でニューヨークまで車で1時間半程で行ける隠れたスポットである。翌日から近所の住人、85歳と親友になる。7年間、ヨーロッパで第二次世界大戦を戦った老人。奥さんを数年前に亡くし、一人暮らし。毎日、近所を徘徊し、私の家にも毎日話しに来てた。老人ぼけで何度も同じ事を話すので、ある時期から話の内容が話す前から全て分かり、それも面白く聞いてたんだけど、、。近所の子供はその彼の大声に泣く事も有る様だ。耳が悪いが補聴器などは使いたがらない。都合がいい事に話したくない事や分からない事やめんどくさいときにはI can't hear you.. 言い、聞こえないふりをする。家の周りで作業をしてると手伝いたがる。勝手に手伝って、、というのも普通に歩くのもゆっくりと一歩一歩、体を動かすのに、家の建材運びをだめと言ってるのに勝手に手伝い、角材で頭を切って血を流した事も有る。消毒して特大バンドエイドを貼ってあげてと、何だか、やるせない、かわいい老人でもあるが、作業の指令を始めると腹が立つ位、偉そうに言う。仕事には鬼であった人物には間違いない。以前、家のペンキ塗りを仕事にしてた様で、この一帯では幅を利かした事業をやっていた様だ。きっと殺してやりたいと思ってた従業員もいたに違いない、それくらい偉そうに言う。ほぼ毎日、家の鍵を中に置いたまま閉めてしまい、毎回私を訪ねて来て、その度に私は開いてる窓から家に侵入して玄関を開けた。夏の暑い日の夕方にポーチで偽物コーラと白いパンにマーガリンをつけたのをアテにして話した、いや、話を聞いた。そんな、親友を持ち、楽しくやってた。ある日、老人ホームに移る事になり、それからは彼のとてつもない大きな声で話す声を聞かない日々を過ごしていた。先週の金曜日はベテランスデー、丁度ボストンから友人ヴィック・ローリングスが来てたので、一緒に老人’ジョー’に会いに行った。バンジョーとスネアを持って老人ホームに向かった。世話をするスタッフに案内され部屋に入ったとたん、ヤバイという気分だった。口を開けて何かブツブツ言ってる老人、男か女か分からない人、首を曲げて車いすに座ったまま動かない人。何だこの光景は、、半分恐怖の状態。スターウオーズのあるシーンで宇宙の怪人達が飲んでいる酒場の様な光景(たとえが悪いけど、正直そういった恐怖は感じました、私が子供だったら一見し恐怖で泣いてたと思う)。ジョーは薬のせいかすごく穏やかな老人になってた。普段のあの大声と威勢はどこに行ったのか。瞳は俺を家につれて帰ってくれというのを伝えてる。Sorry Joe. I can't... スタッフは私たちを紹介し即席演奏会が始まる。結局かれこれ一時間程演奏する。歩ける爺さん婆さん達はダンスを始める。スタッフは汗をかいて一緒に踊る。楽しい!車いすの口を開けた老人も指が動く。ゴッドブレスアメリカを合唱する。ジョーは私の隣で、私の事を何十年も知ってるが楽器を演奏するのは初めて見ると感動する。私は日本からやって来てこのペンシルバニアの田舎の老人ホームの中で何だか人間らしさを感じる。厚い感謝を受け、施設を後にする。とてつもない感動と人としてクリーンになった感じ、元の世界を前にしてきれいな体になった感じ。その感動を覚えていたい。あの、ジョーが住んで居た時期がもう戻ってこないのをとても寂しく思う。2005年11月13日

 


『米と醤油』

海外に長い間住んでて、たまに日本に帰ると米の味や醤油の味の違いに気がつく。もちろん水や材料、技術、こだわり、そしてそこでの料理法の違いからそのように違った事になるんだけれど。アメリカ生活では特に米や醤油の味に対して不自由な気分になった事はありません。醤油はコッコーマンならどこのスーパーマーケットにも大抵あるし、米はなんとかなるもの。ここで紹介したいのは私の発見したアメリカの良品達。それらは日本よりもいいかもと言えば日本に怒られそうですが。

米:カリフォルニアの米で有名な"ニシキ"。ずいぶん前からこれを食ってるんですが、飽きないおいしさ。最近、日系のスーパーなどに行くと新製品の米たちが並んでて、いくつか試したがどれもうまい。でも、値段となるとそれらは少し張る様な。だから、比較的安く安定した価格で10年以上食って来たなじみの深い"NISHIKI"が好きだ。南米系の安い米などを良く食って来たけど、なんだか特有のニオイが有るので箸でつまんで食べる食事には向いてない。でも、メキシコ料理のブリトーやなんかに入れるとき、リフライドビーンズとサルサとの味がマッチしていい。中華は長い米で真白のあのチャイナ米がしつこい味に合います。カレーはもちろんインドの米。日本に帰った時、この米のバリエーションに物足りなさを感じる。

醤油:キッコーマンを使って来た、ある日、3年前ぐらいだろうか、トレイダージョーズという店ですばらしい醤油に出会った。その店は全米にある健康食品中心、オーガニックもあるけど、そうでもないのもあり、だが全て品がいい。値段は普通のオーガニックの店からは遥かに安く、自社製品の品物が工夫されていてすごくおいしいんです。陳列に醤油(Soy Sauce)とあるが試しに使ってみるか、、、。そういった感じで購入しました。味は抜群にいい。キッコーマン〜バイバイ。注意書きを見ると日本製、本醸造。こだわりの一品。この店のホームページからの情報には、取引ではいい品を現金で買い取り、いろんなコストを抑えていい物を安く提供する社法。想像する。ある日、背の高いスーツを着たアメリカのビジネスマンが小さな日本の造醤油屋に通訳と共にやって来て、契約したんだろうか?その醤油屋は大きな売り上げ(輸出)の仕事を受け、しかしでも、その昔ながらのやり方で丁寧に醤油造りやってるんだろうか?味からそういたドラマを想像してしまう。最近日本でキッコーマンを使ったが、forget it! 問題外です。 昔は良く感じたけど。

 

保存料や着色料、味の素(MSG)。一時代での時代の流れから、私たち、そのような物をよく吸収させて頂いた訳ですが。それについて考えさせられるこの頃です。

2005年11月6日


『大木』

今日、近所で大量に積み上げられた大木の輪切りを見つけ、一つ家に持って帰りました。近所の家の前の樹齢数百年の死んだ木2本が市の援助によて切り倒されました。所々にシロアリに食われた形跡があり、危険防止に切った様です。作業をしている連中に聞くと、好きなだけ持って帰っていいと。一番かっこのいい輪切りを探し、動かしてみると一人の力では動かないものです。その前で30分は考えました。てこの原理やなんかでどうやってこの重量物を転がせるかなど。家までは100メーターぐらいだけど、上り坂があり、危険が伴う、ゆっくりころがせたとしても一時間はかかるだろうかと。丁度その前の家の高校生が帰宅し、声を掛け、その彼に助けてもらい、2人で力を振り絞って持ち上げ、車の後ろにその輪切りを半分だけ入れて、下に中枝で輪切りが落ちない様にし、歩くよりゆっくりなスピード運転し、家まで運び、家の前でドンと落としました。テーブルに出来るかなとか思いながら、持って帰ったけど、乾燥するまで相当時間がかかるでしょう。しかし大木の輪切りの重さ、想像を絶する重さです。 2005年10月22日